アナリスト出門甚一の冒険 限界的な快楽
ジェームズ・ディーンの映画に「理由なき反抗」という佳作がある。ジェームズ・ディーンを一躍スターへと引き上げた映画は大作「エデンの東」であったが、出門はむしろ「理由なき反抗」が好きであった。この映画にチキンランという有名な場面がある。
この映画は、ジェームズ・ディーン演じる高校生ジムが、転校して初めて学校にでる1日の出来事が描いたものだ。1日の出来事で物語が完結するのはギリシャ悲劇のスタイルだという。だらだらとした日本の大河ドラマに比べるとなんとエレガントであろうか。
出門は子供の頃、古事記をベースにしたアニメ映画、それは確か東映アニメだったと思うが、何か惹かれた思い出がある。それは、出雲の国のヤマタノオロチの話だったと思う。これも恐らく1日で完結する話ではないだろうか。今考えると日本人の郷愁をさそう原風景がそこにあるように感じる。そしてそれは美しい。古典的な物語の原形なのではないだろうか。ヤマタノオロチ退治のはなしはおおむね次のようなものだ。
高天原(たかまがはら)を追放されたスサノオノミコトは、出雲の国にやってきた。1人娘のクシイナダヒメを囲んで泣いている老夫婦を発見する。スサノオノミコトが、泣いている理由を尋ねると、「私たちには、8人の娘がいたのですが、ヤマタノオロチ)がやってきては、毎年娘たちを一人ずつ食べていったのです。そして今年もまたヤマタノオロチがやってくる時期がきたので、最後の娘をも食い殺されてしまうかと思うと悲しくて、涙が止まらない」という。
スサノオノミコトは、「クシイナダヒメをわたしにくれるなら、ヤマタノオロチを退治してやろう」と言う。スサノオノミコトは、退治の準備として、クシイナダヒメ姫の身を守るために、彼女を爪櫛(ツマグシ)の姿に変え、髪にさし、老夫婦に、「8回繰り返して醸造した強い酒を造り、また、垣根を作り、そこに8つの門を作り、8つの棚(たな)を置き、酒を置いておくように」と指示する。二人は言われたとおりに準備する。するとヤマタノオロチがすさまじい地響きを立てながらやってくる。そして、8つの門にそれぞれの頭を入れて、ガブガブと辺り一帯に響き渡る音をたてながら、酒を飲み始める。すると、酔っ払ってしまったヤマタノオロチはグウグウとすさまじいイビキをかきながら眠り始める。その時、スサノオは刀を振りかざし、ヤマタノオロチに切りかかり、体を切り刻んだ。
ヤマタノオロチを無事退治したスサノオノミコトは、この出雲が気に入りクシイナダヒメと住む宮殿を造る。この宮殿を作る最中、雲が立ち上がった様子を見て、スサノオノミコトは、「八雲(やぐも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」と詠む。これが、日本で初めて詠まれた和歌であるとされている。
はなしをもとにもどそう。転校生ジムが、不良グループの番長と度胸だめしをする場面がある。それがチキンランだ。不良グループにナタリーウッド演じる美女、女子高校生がいる。ジムは転向した高校の1日目の朝、この女子高生と会うのである。ジムと番長が、それぞれの自動車にのりアクセルを踏む。その向こうには、海に向かって断崖絶壁がある。早く自動車から降りた方が負けである。美女のこころをかちとるために、ジムと番長が命をかけてチキンランをするのだ。
「理由なき反抗」のジムも、ヤマタノオロチ退治のスサノオノミコトも、自分の命の危険という代償を払う。それは価格といってよいだろう。そして、それにより得るのが、美女のこころというわけだ。
授業にでると黒板には「限界効用」という言葉が書かれていた。出門はこの言葉に魅かれた。これは、”Marginal Utility” (マージナル・ユーティリティ) という英語を日本語に訳したものだ。英語も日本語も出門の美意識をくすぐるものだった。限界効用とは、ある財サービスを追加的1単位消費するときに得られる追加的な満足度だ。限界的な快楽といった方がわかりやすい。「最後の効用」”Final Utility” (ファイナル・ユーティリティ (Final Utility)という言い方もあったようだが、19 世紀から20世紀初頭、当時大英帝国の大経済学者アルフレッド・マーシャルがマージナル”Marginal”ということばのほうがよいとしたらしい。
「かっこいい言葉だな」出門は思った。限界効用(快楽)は、商品の価格を決定するためにでてくるのだが、それは必ずしも価格にとどまらず、価格のつかない人間の行動も説明することができるだろう。
by Kota Nakako