Notes on Ricardo’s Principles (25) – 価値 24
「マルサス氏は私の主張を理解していない」; リカードの生産費説
ここで、リカードは、マルサスのリカード解釈に反駁する形で、自らの「価値」概念が「費用(生産費)」であること、そして、その生産費が、生産要素への(適正な)利益を含むものであることを明らかにしている。前回、触れたように、リカードの価値説が、アダム・スミスやその後継者達が言う労働価値説ではなく、(生産要素への適切な利益配分を含む)生産費説であることを述べているのである。リカードの経済学の特徴の1つが、所得の分配を扱ったものであることが、ここでも明らかにされているといえよう。
「(注) マルサス氏は、私の原則について、『我々は、裁量的に、商品の生産に投入された労働を実質価値と呼ぶことができるであろうが、それは慣習的に言われる内容とは異なるものである。つまり、費用と価値の重要な区別について混同してはならない。富の形成は、この区別に依存しているのであるが、それを明確に説明することは困難である』という。
マルサス氏は、「費用と価値は同じである」ということを、私が述べた原則の1部、と考えているようである。しかし、私が言う「費用」とは、「(適正な; KN注) 利益を含む生産費」であり、マルサス氏が、ここで言う「費用」の内容とは異なるものである。つまり、マルサス氏は私の主張を理解していない。」
(Note) Mr. Malthus remarks on this doctrine, “We have the power indeed, arbitrarily, to call the labor which has been employed upon a commodity its real value, but in so doing we use words in a different sense from that in which they are customarily used; we confound at once the very important distinction between cost and value; and render it almost impossible to explain with clearness the main stimulus to the production of wealth, which in fact depends upon this distinction.”
Mr. Malthus appears to think that it is a part of my doctrine that the cost and value of a thing should be the same; it is, if he means by cost, “cost of production” including profits. In the above passage, this is what he does not mean, and therefore he has not clearly understood me.
(2015.9)