投資でもうけた経済学者リカードとケインズ 1
実践的経済学でもうける
経済学は実践の学です。経済学を理解し、実践すれば、より良い経済生活、人生を送ることができるでしょう。経済学は単に理解するだけでなく、実社会、実生活で”実践”することが重要なのであり、そこに経済学を学ぶ醍醐味があります。私は経済学者ではなく、経済学の実践者です。マーケティング、経営戦略、ファイナンス、投資等も経済学の一分野といえます。これから、書くこと全て実践者の立場からのものです
大経済学者は大投資家
筆者が、本当に尊敬する大経済学者が2人います。デービッド・リカードと、ジョン・メイナード・ケインズです。2人は、経済学を2分する経済学派を代表する大経済学者です。この2大経済学者が、同時に極めて有能な実務家であり、大投資家であったということ、在野の経済学者であったという点に、経済学というものの本質があり、また魅力があるのです。平たく言えば、経済学とは、いかに儲けるか、それを解明する実践的な学問であるということが言えます。
2大経済学派とは、リカードを代表とする古典派経済学と、経済学に革命をもたらしたケインズ経済学です。2人とも自身の経済学を著書として理論的に明らかにしただけでなく、それを実践して、投資家として豊かな経済生活を送った人物でした。
証券ブローカーだったリカードと実務家として行動したケインズ
リカードは、古典派経済学者の中でも、その論理的整合性、数理的視点という点において傑出した経済学者です。マネタリズムの祖であり、経済学の中でも超合理主義ともいえる立場をとる合理的期待形成学派の祖であるといってもよいでしょう。
一方のケインズは、1929年のニューヨークの株式大暴落ブラックサースデーを端緒とする世界恐慌の中で、古典派経済学への批判者として経済理論を展開し、大恐慌、大不況への処方箋を提示したのでした。それがケインズ経済学です。
2人とも象牙の塔の経済学者ではありません。特にリカードは、高等教育を受けておらず、オランダから移民したユダヤ系英国人であり、極めて有能な証券ブローカー、公債引受人でした。リカードは、アダム・スミスの「国富論」を休暇中に読み、経済学研究に惹かれていったと言われています。リカードにとって、経済学は、証券ブローカー、公債引受人として働く中で、欲得が支配し、しかし、時に欲得を離れたような人間活動の、現実世界の根底に貫かれる論理、法則を明らかにしたものと写ったでしょう。それが彼の眼から見ると、不完全なものであったにしても。
一方のケインズは、リカードとは対象的に、英国の上流階級、知識階級の家に生まれ、イートン校、ケンブリッジ大学に学び、抜群の成績を残した秀才でした。但し、早くから為替や株式の投機的売買を行ったり、学友とホモ・セクシュアルな恋愛に浸るなど型にはまることの無い人物でもあり、文学、芸術にも深い関心を示しました。そんなわけで、ケインズは、ケンブリッジ学派の祖である大経済学者アルフレッド・マーシャルの下で学びましたが、マーシャルもケインズの天才的才能を評価する一方で、学者としては不向きであると感じたのかもしれません、年長である兄弟子のピグーを後継者として選びました。
また、ケインズからしても学者の報酬はあまり魅力的でなかったようで、大学教授となる道を選ばず、卒業するとインド省に入省しました。後に、第一次大戦の戦後処理のためパリ講和会議に、大蔵省主席代表として活動したことは有名です。投資会社や保険会社の取締役に就任し、資産運用の責任者となるなど学者であると同時に、有能な実務家にして投資家、また、今日で言えば、優秀なファンド・マネージャーでもあったのです。
大地主となったリカード
鋭利な頭脳と実務的才能の持ち主であるリカードは証券ブローカー、また公債引受人としてその才能をいかんなく発揮し、富を築き上げていったと思われます。しかし、その巨万の富を決定的にしたのは、1815年のウォータールーの戦いにおけるウェリントンの逆転勝利の際の、英国債への投資(そして恐らくは仏国債の空売り)でした。独自の情報網で、戦況をいち早くキャッチし、ロスチャイルドが巨万の富を得たのは有名な話です。リカードがこの情報を共有していたというのは推定されるところです。
リカードは、投資で巨万の富を得ると、42才で証券ブローカー、引受業者を辞め、投資でもうけた資金で、英国グロスター州にギャトコムパークという大邸宅を構え、大地主となり、また代議士としても活躍しました。リカードは、実生活においては地主として地代で生計を立てる一方、経済学者、政治家としては、自由貿易主義の立場から、英国農業の保護政策である穀物法(1815年施行)の撤廃を主張しました。つまり、自らは大地主でありながら、経済学者としては地主階級に不利な論陣を張ったということになります。ある意味では皮肉な状況ともいえますが、このあたりにリカードの在野、在家の経済学者としてのしたたかさ、面目躍如があるのではないでしょうか。その穀物法は、リカードの死(1823年)後、1946年に廃止されました。
リスクをとらない投資家リカード
リカードの投資スタイルの本質は、現実の証券市場におけるミス・プライスに着目した裁定取引であり、スペシャルインフォメーション(特別な情報)に基づく確実な利益、情報に着目した裁定取引、リスクレス・プロフィットを追求するものであると思います。
株式への長期投資でもうけたケインズ
リカードが、特別の情報で莫大な利益を上げたのに対して、ケインズのもうけは、基本的には株式への長期的投資です。「長期的には我々は皆、死んでいる(”In the long run, we are all dead.”)」とはケインズの有名な言葉であり、これがケインズ経済学の特徴の一つです。しかし、自らの投資活動においては長期投資で成功したのです。基本的には不況期に、皆が投げ売りしている市況において、株式のファンダメンタルバリュー(本源的価値)に着目し、割安な株式に投資し、利益を得たといえるのではないでしょうか。若い頃は、為替、株式の短期的投機的な取引を行ったケインズでしたが、そこでは一旦破産しかかっています。しかし、その時の生々しい経験が、後のケインズの投資活動、そして経済学の研究の糧になりました。
株式市場を「美人コンテスト」に例えたケインズ
ケインズの投資スタイルは、基本的にはウォーレン・バフェットと同じく競争力、成長性のある割安株へのバリュー投資なのではないかと思います。これについては、異論を唱える人も多いと思います。ケインズは株式市場を美人投票になぞらえ、そのファンダメンタルバリュー(本源的価値)ではなく、他の多くの人々がいかに評価をするかで株価が決まる、と述べているからです。これは機知と逆説をもてあそぶケインズ的表現とみるべきでしょう。
多くの投資家が、右へならえで売っている状況では、株式市場は下落する。往々にして、下げが下げを呼ぶ。これが、大衆心理です。その中で、証券の本源的価値に着目し、また、適切な経済政策(ケインズの場合、これが有効需要の創出になりますが)を取る、また、経済の本来持っている自律的な回復力(これはある意味で古典派経済学的発想ですが)に期待して、買い向かう、これがケインズの投資スタイルではないか、と思います。筆者もこれに習いたいと思います。実際にこれをすることは勇気がいることです。相場が下げる局面では、多くの場合、割安と思えても、さらに下がる、下げが下げを呼ぶことが多々あります。割安で買っても、下げ止まらない。これが株式投資の難しいところです。上昇局面も同様です。割高であっても大衆のユーフォリア、熱狂が続いている間は株価はさらに上昇する。割高と判断し、相場を降りると、なおも株価は上昇し続ける。いつ潮目が変わるかは誰もわからない、というわけです。
リスクをとる投資家ケインズ
リカードの投資スタイルの本質が裁定取引であり、リスクをとらない投資であることは前述しました。これに対して、ケインズのそれは、経済の長期的な自立回復力、と個々の証券の本源的価値(ファンダメンタルバリュー)に着目したアクティブ投資であり、計算されたリスクを取る投資と言えるのではないかと思われます。勿論、抜群の頭脳の持ち主である、ケインズも、リカード的な裁定取引にも長けていたと思われます。しかし、ケインズの投資における革新性は、その経済理論にあるように、なぜ、経済が不況に陥るのか、株式市場がなぜ暴落するのか、その原因を理論的に明らかにした上で、計算されたリスクをとるところにあると思われます。
(2014.12)