英国EU離脱に思う

2016-07-09

英国の国民投票で離脱派が僅差ながら過半数(51.9%)占め勝利し、英国はEUを離脱することになりそうである。

EU離脱を支持したある英国人の話

日本在住の英国人の友人とこの件について話した。その友人は、標準的な英語を話す人である(ちなみに、英国という社会は、英語の発音で、民族や育ち、階級がわかり、区別する社会である)。彼は、EU離脱を支持したそうである。

EU官僚支配からの離脱であり、欧州からの離脱ではない

移民問題、あるいは英国の独立性が理由か、と問うたところ「ノー(No)」と答えた。彼によれば最大の理由は、EUの官僚制、官僚支配に対する「ノー(No)」拒絶であると答えた。欧州の一員であることに対する抵抗ではない、と強調した。ただ、彼は、「本当に離脱するのかどうかはわからない」とも述べた。「政治家が水面下で、離脱を回避するために工作をすることがあるかもしれない」と言うのである。

EUに加盟しても通貨の独立性を維持してきた英国

私は90年代初頭、ロンドンで暮らしていたが、当時もEUの本格的始動となるマストリヒト条約批准の是非について大変な論争が行われていた。英国がEUの一員であることは重要であるが、一方で、英国の独立性を維持しなければならない、ということが大きな課題であったと思う。ドイツ、フランス主導のEUに対する警戒も強い、という印象を持った。そして、EUに加盟する一方、通貨としてユーロを採用せず、自国通貨としてのポンドを維持した。ECB(欧州中央銀行)に対するBOE(イングランド銀行)の独立性を確保したのである。

適応型期待形成(Adapted Expectation)の愚

国民投票前は、僅差ながら英国はEU残留を選択するだろう、というのが大方の予想であったと思う。私も、英国民は色々な問題はあるにしても、現実主義的な観点から、離脱というラディカルな選択はしないだろうと予想した。この予想は見事に外れた。人間はともすると安易に現状の延長線上でものごとを考えがちである。私も、適応型予想・期待形成(“adapted expectation”)から自由ではなかったわけである。反省しきり。

英国の歴史は大陸支配からの自由の歴史

英国の歴史について詳しいわけではないが、それは大陸の支配からの自由を確保する歴史であると感じることがある。歴史的に重大な事柄として思い浮かぶのは、1つには、ローマ帝国支配からの自由であり、もう一つは、宗教的なローマからの独立性の確保(ヘンリー8世時世のイギリス国教会の設立)である。今回の離脱派の勝利は、大陸EU官僚支配からの独立性の確保と理解することができるかもしれない。

英国の2つの顔: 欧州の英国と、米国との特別な関係”Specital Relations”

欧州における英国には、2つの顔があると思っている。一つは、言うまでもなく地理的・文化的・経済的な欧州の一員としての英国である。もうひとつは、歴史的・言語的・経済的な観点から「特別な関係」(speacial relations)と言われる米国の同盟国としての英国である。私は、英国人は心情的には、欧州諸国より米国との方が相性が良いと思っている。人間関係においても同じであるが、近すぎる関係は実は維持は難しい、ある程度の距離がある方が両者の関係は維持しやすいのである。

ポンドの下落と好調な英国株のパフォーマンス

EU離脱派の勝利後、英国ポンドは20%超下落した(対円)。証券会社の友人が、今年先進諸国で最もパフォーマンスが良い(ローカル通貨ベース)のは英国株であると教えてくれた。つまり、ポンド安が英国経済にプラスに働くであろうというのが市場の反応である。もっとも、英国不動産ファンドへの解約(売り)が殺到しているという事象もある。別のコラムで書いたように、EU統一市場への玄関としての英国の魅力が失われた、というのが売りの背景であろう。しかし、売られ過ぎで割安になればまた買いも入るであろう。勿論、市場にはオーバーシュート、アンダーシュート、つまり「行き過ぎた買い・売り」があるので注意が必要である。

リスクが評価できない場合、ショートする(売る)というのは、合理的な投資行動の1つではある。

市場メカニズムからの離脱ではない

ふと思う。EUというのは、1つの制度である。市場メカニズムは制度と密接な関係を持つが、より高い次元にある独立したメカニズムである。英国のEU離脱は、市場メカニズムからの離脱ではない、むしろより自由に市場メカニズムが貫徹するとすれば、おまり大騒ぎする必要もあるまい、という気もするのである。

嵐が過ぎ去るのを待つ

話はそれるが、最近、かつての「ゴジラ」映画を見て思った。ゴジラに善悪は無い。ゴジラを悪玉、善玉とするのは人間の解釈である。日本の怪獣ゴジラは科学の力で倒すことはできない。ミサイルを撃ってもゴジラには通用しない。それは自然と同じである。自然の力の前では、人間、科学も無力である。嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

日本的感性からすれば、「嵐が過ぎ去るのを待つ」のが妥当と感ずるのである。

2016.7.9

Copyright© 2024 株式会社ジー・シー・エス(GCS) 中湖康太 経済投資コラム All Rights Reserved.