終わりよければすべてよし All’s Well That Ends Well
タイトルが決定的な魅力
シェイクスピア劇「終わりよければすべてよし」(All’s Well That Ends Well)。この作品はなんといっても、その題名が決定的な魅力をもっています。「人生いろいろあるけれど、“終わりよければよし“としよう」ということを連想させるからです。この劇の女主人公ヘレナの次の台詞が本戯曲の象徴です(訳は筆者)。
All’s well that ends well; still the fine’s the crown;
Whate’er the course, the end is the renown.
(終わりよければすべてよし、結末こそ王冠である。過程がどうであれ、終わり、結末こそ至上のものです)
問題劇
しかし、実際のストーリーはこの連想とは異なっています。いわゆる単純な、相思相愛のラブストーリーではありません。かなりひねりがあります。そのため、この作品は一般的には喜劇とされていますが、解釈と評価が分かれる「問題劇」とされることもあるようです。
大まかなストーリーは次の通りです。医師の娘で孤児のヘレナは、ロシリオン伯爵夫人の庇護をうけて育てられました。ヘレナは伯爵夫人の息子バートラムに恋をします。これは当時の社会では身分違いの恋であったようです。ヘレナは医師である父からの受け継いだ特別の処方でフランス国王の不死の病を治癒させます。フランス王はヘレナの希望を聞き入れます。それは、バートラムがヘレナを妻とすることです。バートラムは、これを拒みフローレンスに逃走します。しかし、ヘレナの生来の誠実かつ冷静沈着、現実的な思考と行動、計略によって、最終的にはバートラムを射とめ伯爵夫人となるに至る、というわけです。この間に、劇的な展開として、「ベッド・トリック」(ベッドを共にした相手が違う人間であった)や、指輪のトリックが出てきます。
フランス王の権威の下に、ヘレナから夫に選ばれた時の、バートラムの顔は、「なんでおれがこの女を妻にしなきゃいけないのだ」というものでした。その時のバートラムの台詞は、
I cannot love her, nor will strive to do’t.
(私は彼女を愛せないし、愛そうともしない)
当然、単純なラブ・ストーリー、喜劇ではないと思いました。しかし、最後の場面で、バートラムは次のように言います。
If, she, my liege, can make me know this clearly, I’ll love her dearly, ever, ever deary.
(陛下、もし、ヘレナがこれを私に明らかに説明してくれるなら、私は彼女を永遠に愛するでしょう)
これに対して、ヘレナは次のように言います。
If it appear not plain, and prove untrue, Deadly divorce step between me and you!
(もし、明らかに説明できず、真実でないことがわかれば、間違いなく、私とあなたは離婚することになります)
この劇には、様々な解釈が可能になってきます。果して、これを「終わりよければすべてよし」(“All’s Well That Ends Well”)といえるだろうか、というわけです。
シェイクスピアの世界観
シェイクスピアがこの劇を「終わりよければすべてよし」としたのは、シェイクピアの世界観があるように思います。それは、結局のところ情に流される人間は人生の勝者にはなれない、ということです。冷徹な者を良しとすることではありません。ヘレナのバートラムへの思いは純粋であり、彼女は誠実で、血も涙もある人間です。伯爵夫人がヘレナを庇護するのもその人柄ゆえです。伯爵夫人はヘレナについて次のように言っています。
His sole child, my lord; and bequeath’d to my overlooking. I have those hopes of her good that her education promises: her dispositions she inherits, which makes fair gifts fairer; for where an unclean mind carries virtuous qualities, there commendations go with pity, – they are virtues and traitors too: in her they are the better for their simpleness; she derives her honesty, and achieves her goodness.
(ヘレナは、亡くなった医師の一人っ子で、私が養っています。教育がこの娘を立派にしてくれると期待しています。彼女はよき性格を受け継いでおり、教育はそれをさらに良くするでしょう。というのも良くない心が、能力を持つと、憂うべきことになります。それは徳にもなり、反逆ともなるのです。ヘレナについては、その能力はその誠実さのゆえにより良いものになります。生来正直であり、その徳を発揮してくれるでしょう。)
また、フランス王の病を治してあげたい、という気持ちにも嘘はありません。自らの死をかけて国王に父から受け継いだ特別の処方を進言します。
If I break time, or flinch in property. Of what I spoke, unpitied let me die, And well deserved: not helping, death’s my fee;
(もし、約束した時までに治癒せず、特性を発揮できなかったら、申し上げたように死なせてください。それは死に値します。お役に立てなかったら死こそ払うべき報酬です)
しかし、ヘレナには目的を達成するために、着々と事を運ぶというしたたかさもあります。次のように王に付け加えるのです。
But, if help, what do you promise me?
(しかし、もし治癒したら、何をわたくしに約束していただけますでしょう?)
感情に支配されず、現実をありのままに見て行動する、しかも計略に溺れない、さらに天の加護を得た人こそ勝者になれるという世界観ではないかと思います。これは、「アントニーとクレオパトラ」(”Anthony And Cleopatra”)にもあらわれています。オクタヴィアス・シーザーの前には、アントニーの武勇も無力になってします。
シェイクスピアの魅力
シェイクスピア劇は、ストーリー展開だけでなく、登場人物もそれぞれ魅力ある特徴をもっており、個々の台詞も豊かで味わい深いものです。ここでは触れませんでしたが、バートラムの家臣で、小悪党、軽薄なペローレスもその滑稽さや、俗っぽい台詞で劇の味付けとなっています。いずれにしても、その全体はとても簡単に言い尽くせることはできません。ここで述べたことはこの劇のほんの一断片にすぎません。解釈も個人的なものです。
シェイクスピア劇を感じ取る
16世紀の英語ということもあり理解は容易ではありません。しかし、全ての意味がわからなくても、豊かな創造力からうみだされた場面と表現、シェイクスピア俳優の滑舌な台詞で展開されるシェイクスピア劇を感じることだけでも快楽です。名優ローレンス・オリビエ、ピーター・オトゥールや007ジェームズ・ボンドを演じたティモシー・ダルトンもシェイクスピア俳優です。
(2014.12)
(参考文献・DVD)
1. “All’s Well That Ends Well” BBC DVD, Originally Transmitted: 4th January 1981
2. “The Complete Works of William Shakespeare”, The Shakespeare Head Press, Oxford Edition
3. 「終わりよければすべてよし」(小田島雄志訳、白水Uブックス、白水社, 1983年)
4. 「シェイクスピアハンドブック」(福田恒存他編、三省堂、1991年)