投資家ケインズ-5 Investor Keynes

中湖 康太

アクティブな投資家

レバレッジ(借入)も使い活発に売買

ケインズは、「一般理論」でインカムを重視した長期投資の重要性を説いた。しかし、それは決してバイ・アンド・ホールド、買持ち(買ったら値動きに関係なく持ち続ける)という投資スタンスではない。実際のところ、ケインズは、レバレッジ(借入)も利用し、活発な売買を行う極めてアクティブな投資家であった。

最初の投資は22才、経済学の勉強を始めた年

ケインズが投資を開始したのは、1902年(19才)イートン卒業後、ケンブリッジ・キングス・カレッジに入学、経済学に興味を持ち、勉強を始めた1905年22才の時だと言われている。最初の投資は、Marine Insurance Companyの4株の購入だった。その6か月後エンジニアリング会社Mather and Plattの4株を購入した。1906年にケインズはインド省に入る。その後、仕事と確率論などの研究に追われ、また投資するに十分な収入もなかったことから1910年まで投資は行わなかった。

所得の増加と共に余裕資金が生まれると、1910年にHorden Collieries and Eastern Bank株を購入。1911年には最初のスイッチ(銘柄入替え)を行う。1913年にはUSスチール株の短期的に5ポンド15シリングの売買益を上げる。しかし、1919年まで投資活動は限定的だった。

大蔵省を辞し投資活動を活発化(36才)

ケインズの投資家としての活動は、1919年6月(36才)に財務省を辞した後に本格化する。1919年パリ講和会議に財務省首席代表として参加した後、敗戦国ドイツに対する莫大な賠償請求に反対した。C

The Collected Writings of John Maynard Keynes XII, ”Keynes as an Investor”(以下、CWJMK-XII) , Table 4 (p.12)に分野別の投資所得の内訳(1920-1945)が載っている。このデータをもとにグラフ化したのが下図である。

 

 

通貨への投機(投資)から出発

財務省辞任後、1919年8月、まず手を染めたのが通貨への投機(投資)であった。もっとも投機と投資の区別は実は難しい。この時期のケインズの行動は、上記全集(Collected Writings)においても「投機」とみなしている。一般的には、短期的な売買を投機、中長期的な視点にたったものを投資、と呼んでいるだろう。また、値動きに着目したものを投機、ファンダメンタル分析に基づいたものを投資、として分類することもあるだろう。

 

ケインズの頭に投機と投資の区別は無い

ケインズの場合、その行動は、経済、金融商品の価値の分析に基づくものであり、頭の中で、投機と投資の区別は無かったのではないだろうか。金融商品の経済価値の分析に基づくものを投資というのであれば、ケインズの金融資本市場での売買は、それを人が、あるときは投機と呼び、あるときは投資、と呼んだとしても、全て「投資」であったといってよい。少なくともわたしはそう理解している。

経済学を志した理由(私見)

そして、ケインズが経済学を志したのは、多分にそれが儲けるために有用な、役に立つ学問である、と考えたふしがある。そもそもケインズが、アカデミズムとの関係を保ちながら、個人投資家、シティの実業家として、在野に身をおいたのはそのためである、とわたしは推察している。つまり、くり返しになるが、経済学は儲けるために有用な学問であり、それゆえにケインズは、アカデミックな探求と、それを使って稼ぐ実践を可能にする立場に身をおいたのではないか。そして、それゆえにまたケインズの経済学は、現実の経済問題に対処する経済学として革命的インパクトを与えたのだ、と。

本源的価値(Intrinsic Value)

ケインズは、友人、シティ関係者との書簡のなかで”Intrinsic Value”(本源的価値)という言葉を使っている。短期であれ、長期であれ、それがバリュー(Value; 価値)への視点、分析に基づくものであれば、それは「投資」と呼ぶのがふさわしい。

 

TBC

by Kota Nakako

2023/04/17

 

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